両親そろって健在であれば、子どもたちが親元に集った。お祝いを贈ったり、ごちそうしたりする「生身魂(いきみたま)」という習わしである。始まりは鎌倉時代にさかのぼるという。今を生きる年長者に礼を尽くす「敬老の日」のような意味合いもあったようだ
「生身魂七十と申し達者也(なり)」。正岡子規の句がある。日本人の平均寿命が45歳にも届かなかった明治の半ば。子規自身わずか34歳で世を去っている。70歳は「古来稀(まれ)なり」とされる。すこやかに迎えることができたと、ごちそうを囲み家族と喜び合う姿が目に浮かぶ
1世紀余を経たこの国では連日、100歳以上の高齢者の「行方知れず」が報じられている。その数200人を下らない。国内最高齢をはるかに超える127歳や125歳も。行政の怠慢とすれば「長寿世界一」の看板は大丈夫?と首をかしげたくもなる
役所の住民基本台帳の中でひっそり存在し続けてきた超高齢者。多くは生シさえ分からない。冥界との境をさまようこの人たちを、生身魂と呼べないのが悲しい。
天風録 中国新聞 2010年8月13日
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