これらの作品も影響したのか、二つの被爆地は「怒りのヒロシマ、祈りのナガサキ」と形容されてきた。大国の核兵器保有を声高に批判するのが広島。世界平和の実現をひたすら祈念するのが長崎、といったふうに
だがそれは思いこみだったのかもしれない。広島大原爆放射線医科学研究所が5年前に行った被爆者アンケートがある。自由記述欄に出てくる単語に、祈りや怒りの言葉はさほど多くなかった。むしろ被爆地にかかわらず「肉親にまつわる体験」「核兵器廃絶による平和」が目立ったという
きのうの長崎市の平和祈念式典。「平和への誓い」を読み上げた被爆者代表の内田保信さんは「(被爆2世の)子供の健康が心配だった」「私は原爆を絶対に許せない」と言い切った。みけんの深いしわが、怒りの歳月を刻んでいるように見えた
犠牲者を悼み、惨禍を繰り返してはならないと誓うのは広島も長崎も同じだろう。それは怒りにも祈りにもなる。ただ、あきらめに変えるわけには到底いかぬ。
天風録 中国新聞 2010年8月10日
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