愛猫たちが蒸発したりシんだりするうち、詩人はある境地に至る。いつかその日がくる。そう観念しなければ猫なんかと一緒に暮らせない―。もしそれがわが肉親との別れだったら、と読みながら想像を巡らせる
長田さんは、その奥さんを昨年失った。一周忌を前に編んだ詩集「詩ふたつ」に、亡くなった人についてのこんな一節を見つけた。「どこにもいないのではない。どこにもゆかないのだ」。病床で顔をゆがめていた母があの世では元気になった、とも
たとえ姿が消えても、その人との思い出や絆(きずな)は生き続けるということだろう。そう受け止めることができたら、みとった悲しみも少しは軽くなるかもしれない。しなやかな詩に目を開かされる
今年の中国短編文学賞の大賞作も、家族に先立たれた孤独を描いていた。交通事故で逝った孫娘のお気に入りだったトナカイの電飾。それが近所と絆を結び、命拾いの種となる。長田さんの詩集の後書きにはこんなくだりもある。「近しい人が遺(のこ)してくれる記憶は、生の球根です」
天風録 中国新聞 2010年5月24日
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