1945年の秋口、広島城の天守台には柱や板などの残骸(ざんがい)がうずたかく積み重なっていた。やがて市民が持ち帰り、焦土で雨露をしのぐ足しにする。みんな生きるのが精いっぱい。そんな時代の残像を、被爆から7年後にロケ撮影した映画がとどめる
原爆は、天守閣の南方980メートル付近の上空でさく裂した。風雪に耐えた鯉城(りじょう)が爆風で一瞬のうちに崩れ落ちる。思いも寄らない光景だったろう。人々を地獄図に投げ込んだ一発の爆弾は、城下町の面影もかき消した
見違えるようになった街で、すっぽり欠けているのが歴史の厚みではないか。城内から明治初めに移築されたとみられる土蔵が、今も東区役所の近くにある。太い梁(はり)に城遺構のたたずまいをとどめる。老朽化が進み解体の危機と、地方版の記事が伝えている
捨て置けば、将来に悔いを残すだろう。広島市は「文化財指定に至っていない」とそっけない。原爆の日の夕、迫り来る炎から身を守った厚さ20センチの土壁。保護用のトタン板で覆われた姿が、何ともけなげに見える。
天風録 中国新聞 2010年4月9日
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