2010年04月15日

城下町の面影「原爆の子」炎から身を守った厚さ20センチの土蔵・・・ 天風録 八葉蓮華

 あの材は天守閣のなれの果てでは…。そんな想像をかきたてられるシーンが新藤兼人監督の映画「原爆の子」にある。城跡とおぼしき石垣の近く。滝沢修扮(ふん)する老人と孫が身を寄せ合うバラック建てだ

 1945年の秋口、広島城の天守台には柱や板などの残骸(ざんがい)がうずたかく積み重なっていた。やがて市民が持ち帰り、焦土で雨露をしのぐ足しにする。みんな生きるのが精いっぱい。そんな時代の残像を、被爆から7年後にロケ撮影した映画がとどめる

 原爆は、天守閣の南方980メートル付近の上空でさく裂した。風雪に耐えた鯉城(りじょう)が爆風で一瞬のうちに崩れ落ちる。思いも寄らない光景だったろう。人々を地獄図に投げ込んだ一発の爆弾は、城下町の面影もかき消した

 見違えるようになった街で、すっぽり欠けているのが歴史の厚みではないか。城内から明治初めに移築されたとみられる土蔵が、今も東区役所の近くにある。太い梁(はり)に城遺構のたたずまいをとどめる。老朽化が進み解体の危機と、地方版の記事が伝えている

 捨て置けば、将来に悔いを残すだろう。広島市は「文化財指定に至っていない」とそっけない。原爆の日の夕、迫り来る炎から身を守った厚さ20センチの土壁。保護用のトタン板で覆われた姿が、何ともけなげに見える。

 天風録 中国新聞 2010年4月9日
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ラベル:天風録
posted by 蓮華 at 23:44| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 天風録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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