華やかな脚光を浴びるような選手ではなかった。宮崎県の高校からドラフト外で日本ハムに入団。11年過ごしたカープ時代もレギュラーに座ったのは4年間だ。守備の控えと代走からはい上がった。投手を除く全ポジションをこなしたのは、この人ぐらいだろう
「どうすれば、この世界で生き延びられるか」。その一心で貫かれた野球人生。体格も恵まれた方ではない。左打ちをマスターしようと普段もはしを左手に持ち替えた―。そんなエピソードからも、人一倍の頑張りがうかがえる
2003年にフリーエージェント権を得ながら「カープに育ててもらった」と残留を望んだ。3年後、巨人へトレード。悔しかったに違いない。それでも対戦すると、古巣のベンチにやってきては人なつっこい笑顔を見せてくれたという
この春からコーチになった後も広島市の自宅を移さなかった。団地のお祭りに出たり、学校行事に気さくに参加したり…。「広島のキムタク」はこれからも、ファンの心に生き続ける。
天風録 中国新聞 2010年4月8日
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