家族の消息が分からぬまま取材を続ける記者。燃える民家に「堪忍して」と叫んでシャッターを切るカメラマン。辛うじて生き残った電話で、紙面制作を引き受けた京都新聞に原稿を読み上げる。テレビドラマにもなった神戸新聞の被災ドキュメントを読むと胸が熱くなる
本紙も65年前、原爆の惨禍から立ち上がった。社員の3分の1がシ亡。メガホンでニュースを叫ぶ「口伝隊」が焦土を回り、3日後に新聞を出した。どんなことがあっても伝えねば。そんな使命感にほかなるまい
神戸港の近くに「人と防災未来センター」がある。あの日の街の模型や溶けたガラスなどが並ぶ。証言ビデオが流れ、語り部も活動する。原爆資料館と似ているのに驚く。神戸と広島。記憶を未来へつなぐ役割の重さは共通する
神戸市民の4割近くはもう震災を直接知らない。風化を心配する声も出る。広島でも被爆者から話を聞けない時代が近づく。最近は広島で原爆を、神戸で震災を学ぶ修学旅行もある。二つの「被災地」が、体験の継承へ手を取り合えたら。
天風録 中国新聞 2010年1月18日
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