きょうが生誕100年の絹代は、赤をことのほか好んだ。古里の下関市に寄贈されたハイヒールや帽子、クッションに文箱も。華やかで時に危うさもイメージさせる色。マズしさをくぐり抜け、無声映画時代から67歳で亡くなるまで走り続けた生涯とどこか重なる
出演した映画は300本近く。「愛染かつら」に代表される清純派も、40歳のころ「老醜」と酷評された。すると、その後は「老い」を武器にし、役作りで歯を抜いたことも。視力を失ったシの直前も、「目が見えなくてもやれる役は」と口にした。情熱の炎を最期まで胸に秘めていた
そんな彼女の生涯を伝える記念館が来年2月、下関市にできる。「郷土のスターを埋もれさせてはいけない」。墓参や映画祭を続け、設置を訴えた市民の願いが実った。その一人でもある古川さんが名誉館長に就く
絹代の銀幕デビューの年に建ったビルを改装して使う。屋根の色は真っ赤。身の回りを彩った赤い遺品も並ぶ。大女優の息づかいが伝わってくるに違いない。
天風録 中国新聞 2009年11月29日
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