ならばと思い当たったのが「大喜利」のスタイルだ。出されたお題にいかに面白く答えるかを、何人かで競う。「笑点」はそれでヒットし、その後の噺家タレントブームにつながった。長く番組の顔だったのが、亡くなった三遊亭円楽さんだ
「噺家なんてぇのはのんきな商売で」というのはよくあるマクラ。扇子をたたいて「はい、座布団1枚」とおちょぼ口で笑う円楽さんを見ると、いかにもそんなふうに見えた。しかし「実際はそうじゃあない。笑わせるのが一番むずかしい」(「圓楽芸談しゃれ噺」)
テレビに出過ぎだとたたかれ、テレビと一時縁を切った時は「落ち目」と見られたりした。落語協会から離れて自前でつくった寄席の負担にも苦しんだ。のんき、どころではなかったと知る
浅草生まれの江戸っ子。4年前に脳梗塞(こうそく)で倒れ、復帰した高座で「ろれつが回らない」と、その日のうちに引退を決めた。「江戸っ子が登場する落語をやってるんですから、そらあ、引き時を間違えちゃいけません」。人生の引き時はしかし、早すぎた。
天風録 中国新聞 2009年11月1日
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