玄関をがらりと開けると、足元にあるのが敷居。戸や障子を左右に滑らせる横木である。高くてもせいぜい十数センチ。ところが、その家の人に不義理をしたりしていると、なかなかまたいで入りにくい。だから「高い」と感じてしまうのだろう
時は流れて、住宅事情も変わった。洋風のドアになると、敷居は要らない。家の中のバリアフリー化も進む。段差が嫌われて取り除かれたり、スロープに取って代わられたりしている。だんだん存在感が薄れつつある
それでも言葉は生きている。ただ意味合いがちょっと違ってきているようだ。「あのブランドショップは高級すぎて敷居が高い」。こんな言い方をしている人が30代以下では7割を超すことが、文化庁の調査で分かった
申し訳ないと思いつつもこうなってしまった、という含みが「不義理」にはある。浮かぶのは「結婚をめぐるトラブル」「返せないままの借金」などのイメージだ。慣用句の「誤用」が広がったのは、不義理ができるような人間関係が希薄になった表れなのだろうか。
天風録 中国新聞 2009年9月6日
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