2009年09月09日

「敷居が高い」不義理ができるような人間関係が希薄になった表れ・・・ 天風録 八葉蓮華

 家族のように育ててくれた恩師に黙って、許されない女性と結婚した。どうにも後ろめたい。家を訪ねるのも「疵(きず)持つ足、思いなしで敷居が高い」。あす没後70年を迎える泉鏡花の「婦系図」の一節だ

 玄関をがらりと開けると、足元にあるのが敷居。戸や障子を左右に滑らせる横木である。高くてもせいぜい十数センチ。ところが、その家の人に不義理をしたりしていると、なかなかまたいで入りにくい。だから「高い」と感じてしまうのだろう

 時は流れて、住宅事情も変わった。洋風のドアになると、敷居は要らない。家の中のバリアフリー化も進む。段差が嫌われて取り除かれたり、スロープに取って代わられたりしている。だんだん存在感が薄れつつある

 それでも言葉は生きている。ただ意味合いがちょっと違ってきているようだ。「あのブランドショップは高級すぎて敷居が高い」。こんな言い方をしている人が30代以下では7割を超すことが、文化庁の調査で分かった

 申し訳ないと思いつつもこうなってしまった、という含みが「不義理」にはある。浮かぶのは「結婚をめぐるトラブル」「返せないままの借金」などのイメージだ。慣用句の「誤用」が広がったのは、不義理ができるような人間関係が希薄になった表れなのだろうか。

 天風録 中国新聞 2009年9月6日
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ラベル:天風録
posted by 蓮華 at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 天風録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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