2009年08月18日

飢えの記憶「担ぎ屋」食べ物が無くなると人間が人間でなくなる・・・ 天風録 八葉蓮華

 敗戦の翌年、15歳の野坂昭如さんは「担ぎ屋」にあこがれた。食べ物の配給が途絶えた焼け跡の大都会。コメや芋などを農家から仕入れ、闇市に流すバイヤーのことだ。取り締まりをかいくぐり、争い事もしばしば。でも羽振りは良かった

 あこがれの裏側には、痛切な飢餓体験がある。野坂さんは妹を飢えで失った。「生キ残レ少年少女。」(岩波現代文庫)にこう記す。「食べ物が無くなると人間が人間でなくなる。そういう地獄図を何度も見た」。だから「この島国の食料、特にコメについて死ぬまでこだわり続ける」と

 ご飯を平気で残す。「いただきます」を言わずに食べ始める。そんな若い世代に、飢えるとどうなるか伝えたいけど体験した者でないと分からない―。昭和一けた生まれの世代に共通するもどかしさだろう

 農山村を支えてきたのもこの世代だ。「いつかまた食料危機が」。土にしがみついてきた人々も老いを深める。荒れゆく田畑で、代わりに誰が食べ物を作り続けるのか

 もしも、海外からの食料輸入が止まったら。農林水産省は、芋中心の食生活にして配給制を敷く方針という。今の少年少女が「担ぎ屋」に頼るような時代にしてはなるまい。危うい飽食の中で、飢えの記憶をどう引き継いでいけばいいのだろうか。

 天風録 中国新聞 2009年8月16日
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ラベル:天風録
posted by 蓮華 at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 天風録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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