「ごめんね。ごめんね。熱かったじゃろ」。説明に添えてあるのは母の言葉だ。建物疎開に出ていて閃光(せんこう)を浴び、手当てのかいなく息を引き取った。母は生前、いつも制服に向かって謝っていたという。じっと読んでいた女子高生はハンカチを目に当てた
あの日を語る遺品にはすべて忘れがたい記憶がある。ただ子や孫の代になれば、意味が忘れられてしまうかもしれない。それならいっそ…ということなのだろう。大事な形見を資料館に寄贈する人が増えてきた。爆心地近くで拾った瓦のかけらを「遺骨代わり」と託した人もいる
前身の陳列室から数えて今年で60年。遺品など資料館の収蔵点数は2万を超えた。温度は22〜23度、湿度は50%。年中変わらぬ地下の収蔵庫では、衣類を桐のたんすに入れているという。遺族の思いをくみ、きちんと未来に残したい。そんな気遣いも感じる
ただ公開できているのは、全体の2%ほどだ。やがて被爆者から証言がじかに聞けない時代になる。遺品にどう語らせるか。それにどう耳を傾けるか。
天風録 中国新聞 2009年8月6日
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