今の「呉・松山フェリー」は、その後継ともいえる。梅雨晴れの日、久しぶりに乗ってみた。阿賀港(呉市)から2時間足らず。堀江港に着くと、乗り場近くにひっそりとたたずむ石碑を見つけた。「仁堀航路跡」。埋もれた歴史に出合ったような気がした
戦後、松山周辺から多くの人が呉に向かったという。高度成長の時代、対岸は造船景気にわいていた。船は就職の、進学の夢も運んでいたに違いない。合わせて60年以上の航路は今月いっぱいで姿を消す。引き金になったのは、休日の「1000円高速」である
フロアでは子どもがはしゃいでいる。横になる人も、静かに本を広げる人も。呉に嫁いだ娘や孫を訪ねたおばあさんもいた。片道1600円の旅客運賃で行き来できる航路の生活感は、行きも帰りも同じだった
急ぐ人、時間のある人。お金のある人、節約する人。陸、海、空路は時代と需要が変化する中で、微妙なバランスを保ってきた。そこに思い付きのような「国策」である。「来月から、あんたはどうする」。フェリーの中で交わされる会話を、政治家や官僚に聞かせたい。
天風録 中国新聞 2009年6月16日
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