世界が東西に分かれ、角突き合わせていた冷戦の時代。英語を使えば一方の側にくみすることになる。戦争放棄を誓った被爆国日本の科学者こそ中立でなければ、との考えからだった。客は通訳同伴で訪ねてくるようになったという
半世紀余り前の論文「文明の生態史観序説」で世に出る。西欧と日本という大陸の辺境部で文明が発展したが、「文化に上下の差はない」が持論。「進化の道はいくつもある」とその多様性にも注目した
シルクロードの砂漠やモンゴルの草原を歩く現場の発想から紡いだ世界観だろう。初代館長を務めた大阪の国立民族学博物館では、独特の展示スタイルを編み出した。地球上で暮らす幾多の民族の資料が同じ平面に並ぶ。その壮観ぶりは、今もけた外れである
「言葉は文明を運ぶ」と述べたこともある。漢字が壁となって外国人に学びにくい日本語と日本の行く先を気にかけていた。座談では「しやはる」「どうやいな」を連発し、論文は平仮名が多く読みやすい。「はんなり」という京言葉が浮かんでくる。
天風録 中国新聞 2010年7月8日
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