2010年05月08日

65年の時間を超え、失われた街の記憶と今を生きる人たちをつなぎたい・・・ 天風録 八葉蓮華

 「原爆が落ちた近くが公園だったから良かったですね」。米国人記者の言葉に、映像プロデューサーの田辺雅章さん(72)はえっと耳を疑った。「広島一の繁華街だったんですよ」。3年前、ニューヨークであったやりとりという

 地元では信じがたいが、平和記念公園は昔から公園だったと思う人が結構いるようだ。産業奨励館(原爆ドーム)のそばで生まれ、疎開で難を逃れた田辺さん。消えた町並みの復元をライフワークにしてきた。誤りは正さなければ、と公園のもとの姿を3年かけて映像にした

 カフェーや写真館が連なる目抜き通り。子どもたちの遊び場。ざわめきやせみ時雨。かいわいに住んでいた57人から聞き取った街のたたずまいを、CG技術を使って細部に至るまでよみがえらせた。きょうNPT再検討会議が始まる国連本部で一部を上映する

 65年の時間を超え、かつて暮らしていた家の座敷に立って住民が語りかけるシーンも登場する。失われた街の記憶と今を生きる人たちをつなぎたい。田辺さんの思いはひとしお強いのだろう

 新緑がまぶしい公園を歩くと、心も和む。しかし、そこには4千人を超す人たちの暮らしがあった。決して忘れてはならないことに気付かせてくれる。この作品をくだんの記者にも見せてやりたい。

 天風録 中国新聞 2010年5月3日
創価学会 地球市民 planetary citizen 仏壇 八葉蓮華 hachiyorenge
ラベル:天風録
posted by 蓮華 at 23:38| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 天風録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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