中国原産の杏は唐桃とも呼ばれ、初夏に小ぶりの実を付ける。田尻には江戸時代、豊後(大分県)から僧侶が持ち込んだと伝わる。食用に限らず、せき止めの生薬としても重宝されたという
終戦直後、石積みの段々畑から杏が姿を消し、代わりに芋が植えられた。食糧難の時代だった。杏の里復活への動きが本格化するのは40年ほど前。「公害が深刻になり、身近な環境にも関心が向き始めたころでした」と地域の世話役たち。接ぎ木や剪定(せんてい)、下草刈りの作業が続いた
右肩上がりの経済成長に陰りが見え、みんなが戦後の大事な忘れ物に気づき始めたころでもある。段々畑に立って目を凝らせば、国内有数の製鉄所の煙突群も見える。再生への思いはひとしおだったに違いない
里山の一角には、地元の小学生が卒業記念に植えた若木も並ぶ。そんな地域のきずなを確かめ合う「杏まつり」があす催される。18回目の今年は露店が並び、遊覧用の杏船も出る。世代を超えて守り続ける「誇り」を海から望める。
天風録 中国新聞 2010年3月20日
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