2010年03月05日

「二月尽」流されているようなわが身を省みる・・・ 天風録 八葉蓮華

 エッセイストの杉浦日向子さんが、二月を「遠くで会釈する人」に例えている。はっきり見えないが、とりあえずちょっと頭を下げる。誰だったかなと思ううち、姿は既にない。いつの間にか過ぎ去ってしまう、はかない月

 明治時代に旧暦が新暦に切り替わった時、ほかより短い月になった。「いぬる一月」よりもなお足が速く「逃げる二月」と感じるのはそのせいだろう。月末のきょうを指して「二月尽(じん)」という季語も生まれた

 「尽」には、軽い後悔の響きがこもる。この前、年が明けたばかりなのに、大したこともしないうちにもう2カ月も費やしてしまったか、と。政治資金疑惑に驚き、トヨタを気にかけ、五輪に酔っている間にいつの間にか…。流されているようなわが身を省みる

 厳寒の月がこれで終わり、という安堵(あんど)感を与えるのも「尽」の字だ。「二月尽雨なまなまと幹くだる」(石原舟月)。雨さえも柔らかく、温度を感じる。体もまた冬モードのこわばりが解け、内側からほぐされていくようだ

 あすから三月。人も自然も春の準備に入る月だ。中には不況で就職が決まらず、その気になれない若い人もいよう。あと1カ月。どこか行き先が決まって、二月の寒い気分に「尽」のピリオドを打つ人が一人でも増えてほしいと願う。

 天風録 中国新聞 2010年2月28日
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ラベル:天風録
posted by 蓮華 at 23:35| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 天風録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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