先ごろ、遺言通り周南市沖の周防灘に散骨された。「潮に乗って世界中に流れて行ければうれしい」。そう家族に話していた。棋聖戦で周南を訪れたのは、ちょうど30年前。対局の合間に見た海がよほど印象的だったのだろうか
「八方破れ」と自称するほど酒やギャンブルでの失敗が絶えなかった人生。それでも、慕ってくる後輩は分け隔てなく鍛え上げた。1980年代には毎年のように中国や韓国を訪れ、若い才能を開花させた
プロの卵だった戦前、中国戦線の兵士を励ます訪問団に加わり神戸から瀬戸内海を抜けて上海へ。周防灘を選んだのは、外海に直接通じているからだろう。「墓のような窮屈な所には入らない」。あの世でも広い舞台を求めた言葉にもふさわしい
囲碁ファンは中国や韓国でも増え、世界大会で何度も優勝するほど実力も上がってきた。折しも、日本は明治以来の「脱亜」を見直そうとしている。3国の交流を橋渡ししてきた藤沢さんは、時代を先取りした水先案内人だったかもしれない。
天風録 中国新聞 2009年10月16日
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