2009年08月08日

被爆地の思い「核の傘」すれ違いの溝も深い・・・ 天風録 八葉蓮華

 広島市の平和記念式典に初めて出席した首相は佐藤栄作氏だった。退任前年の1971年。激しい風雨の中、献花の際に女子学生が飛び出したり、「帰れ」コールを浴びたり…。それでも「多数の参会者が声援を送ってくれた方が記憶に残る」と日記にある

 ともすれば首相の発言は被爆地の思いとすれ違う。12年前、当時の平岡敬市長は平和宣言で「核の傘」からの脱却を求めた。式典後、橋本龍太郎氏は「できっこない」と言い切ったという。6回も訪れたのに被爆者代表から要望を聞く会にほとんど顔を出さなかったのは小泉純一郎氏だ

 きのうは麻生太郎首相が会場に足を運んだ。6年越しの懸案だった原爆症認定訴訟で原告全員の救済を決めた。しかし直後の記者会見では硬い表情で、核の傘は必要とも。すくい取られた願いがある一方で、すれ違いの溝も深い

 民主党の鳩山由紀夫代表の姿もあった。被爆者の体験に耳を傾け「核廃絶に向けて皆さんとともに頑張りたい」。ただ、今は野党の党首。将来首相になったとしたら、その時どこまで寄り添ってくれるか…

 核兵器を「持たず」「つくらず」「持ち込ませず」の非核三原則。初めて表明したのも佐藤氏だった。首相が誰になろうと、国是に関してすれ違いがあってはなるまい。

 天風録 中国新聞 2009年8月7日
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ラベル:天風録
posted by 蓮華 at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 天風録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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